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懐かしのヒーロー ブルースリーワールドへようこそ。 |

Bruce Lee
アメリカサンフランシスコに生まれ、その後香港に帰国。
8歳ころよりさまざまな映画に出演する。
18歳で単身渡米。ワシントン大学で勉学に励むかたわら、武道家として自ら道場を開き武術の指導を始める。
1970年、「ドラゴン怒りの鉄拳」など3本の映画に出演。爆発的な人気で一躍世界のトップアクションスターとなる。
1973年ハリウッドとの合作映画「燃えよドラゴン」の公開を前に急逝する。 享年32歳 |
いまから、30年以上前、
全世界の映画ファンを魅了したアクションスターが居た。
その名はブルースリー・・・。
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強靭な肉体を駆使し撮影された映画「燃えよ、ドラゴン」は当時の日本にもカンフーブームを引き起こし、アチョー、アチョーという奇妙な掛け声が日本中を駆け巡りました。
そのブルーリーの代表作といえば「燃えよドラゴン」「ドラゴンへの道」「ドラゴン怒りの鉄拳」「死亡遊戯」「ドラゴン危機一髪」などがあります。
世界中にカンフーの大ブームをつくったブルースリーですが32歳という若さで急逝し、彼の死後撮影途中のフィルムを編集し完成にこぎつけた映画が最後の主演作となった「死亡遊戯」です。
これらの映画は現在でもビデオやDVDで発売されております。
なぜ、これほどブルースリーが大流行したのでしょうか。32歳の若さで急逝したからでしょうか?エデンの東のジェームズ・ディーンや大脱走のスティーブ・マックウィーンなど急逝して今なお人気の高い俳優はたくさんいます。
確かにブルース・リーも同じような運命にありましたがブルースリーの人気の背景は別なところにあるような気がします。
ブルース・リーのカンフーが日本全国で大流行した昭和50年前後(1970年代)は学生運動も下火になり、日本全国の若者が反体制、反主流から急激にパーソナル主体へと変わっていった時代でありました。
当時、巷では狭い三畳間から銭湯へふたりで通う「神田川」が共感を呼び、吉田拓郎の「結婚しようよ」が流行ってました。
そうです。僕の髪〜が肩まで伸びて君と同じになったら結婚しようよと歌って大ヒットしたあの「結婚しようよ」です。
そんな軟弱風潮のなか、いきなり登場したのが強靭な肉体とぎらぎらしたあの眼、そしてアチョーアチョーの怪鳥の鳴き声のような雄たけび、カンフーの技・・・。
当時ブルースリーの主張していたものは当時の多くの日本の若者から失われていたものでした。
ブルースリーの魅力とはそんな日本の世相のなかでは特に異質でした。
そういった当時の日本人にはない異次元の魅力がブルースリーにはあったからこそ、多くのブルースリーファンを作り出したのではないでしょうか。
当時みんなが熱狂したブルース・リー。
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